草模様



〔昭和四十一年 小学校五年生の頃の話〕


ー明日はハーモニカのテストがある。−
そう思うと
さとちゃんは
暗く沈んだ気持ちになった。

さとちゃんは
ハーモニカを吹くことが
ほとんどできないのであった。

は吹き、レは吸い、ミは吹き、
ファは吸う。・・・・・

頭ではわかっていても
いざ、ハーモニカに口をあてて吹き始めると

ソなのに吸ってしまったり
シなのに吹いてしまうのだった。

それに楽譜も
ほとんど読めなかった。
面倒くさくて
おぼえる気持ちもなかった。

音楽の時間は
嫌いだったので
いつも ほかごとを考えて過ごしていた。

例えば
音楽室の壁に架けられていた
ベートーベンや
シューベルトの肖像画を
眺めている時間が多かった。



ベートーベンは
いつも怒っているように見えた。
だから
肖像画の視線に
なるべく眼を合わせないようにしていた。



シューベルトは
近所にある伊藤医院の
先生によく似ていた。

あの先生の
注射は本当に痛かった。



シューマンという作曲家の
名前はすぐ憶えることが出来た。

シューマイと
マンジュウ。
おいしそうな
名前だったからだ。

さとちゃんは
学校は好きであったが
勉強はきらいな
普通の少年だった。





さとちゃんとハーモニカの
付き合いは長かった。

小学校一年生の時に
一段式のハーモニカを教材で与えられた。

ちっとも吹けないのに
三年生になったら
二段式の半音が出せる
ハーモニカを教材で与えられた。

一段式でさえ巧く吹けないのに
何で二段式なのだ

さとちゃんは やるせない思いであった。

音楽の時間中
ハーモニカを合奏する時には

ハーモニカに口をあてて
吹いている振りをして
いるだけだった。


ハーモニカのテストは
一人づつ席から立って
演奏しなければならない。

変なふうに吹くと
きっと
クラスの皆に笑われるだろうな・・・。

恥ずかしいな・・・。

恥ずかしいと
顔が真っ赤になることを
自分でも知っていた。

さとちゃんは明日のテストの場面を
寝床のなかで想像していた。

明日はずる休みをしたくなってきた。

しかし、テストの当日、
さとちゃんは
ハーモニカも鞄にいれて
いつものように学校へ行った。

ずる休みをしても
ハーモニカをわざと忘れて行っても

次の音楽の時間には
必ず 一人だけで
ハーモニカのテストを
やらされることを
知っていたからであった。



音楽の先生は
天野先生という美人先生であった。
(担任の先生は音楽を教えていなかった。)

天野先生は怒ると恐かった。
だから、音楽の時間は
厳粛であった。


ハーモニカのテストが始まった。

課題曲「夜汽車」を
あいうえお順に独りで
吹いていくのである。

「いつも、いつも通る夜汽車。しずかな・・・」

一番の阿部君が
吹き始めた。

悪戯好きで
先生によく怒られている阿部君だったが
ハーモニカは上手だった。

皆、練習してきたのだろうか?
時々つっかえても
なんとか最後まで
吹いていった。

八番目が
さとちゃんであった。
胸がドキドキした。


「はい、次は佐藤君。」

と先生に呼ばれた。

さとちゃんは席から立った。

ーもう、だめだ。−

教科書の楽譜を見ながら
といっても
楽譜が読めないので
どれが
ドなのか?ソなのか????
ファなのに吹いたり
ミなのに吸ったり・・・
唇がハーモニカの
穴を捜せないのだ。


まったくチンプンカンプンの
「夜汽車」は始まった。


さとちゃんは思った。

天野先生は きっと 驚いているだろう。
小学校五年生になっても
ハーモニカを
ほとんど吹けない
生徒がいることを・・・

歌詞でいう
「いつも、いつも、」
までは

吹けたのだが
あとが続けれない。

二度、最初から
やりなおした。

唇が音階の穴に
うまく あたらない。

二段式ハーモニカの上段(半音階)
まで吹いてしまうので
音が混ざり合い
濁った音色になってしまう。

吹いている間に
クスクスという女の子の
笑い声が聞こえた。

さとちゃんは 
ハーモニカを吹きながら
恥ずかしくて きっと
自分の顔が真っ赤になっているな。
と思っていた。

しばらく吹いてから

小声で

「吹けません。」

と 先生を見て言った。

さとちゃんの
立っている足は
机の下でガタガタ震えていた。

音楽室の中は
さとちゃんの演奏の
あまりのひどさのため
ざわついていた。


すると
椅子に座って採点していた
天野先生が
立ち上がり
大きな声で叱った。


「みんな。 静かに。 笑わないで・・・
吹けなくても
一生懸命やっているのよ。

私は、
そんな一生懸命な佐藤君が

大好きだわ。」

音楽室は急にシーンと静まりかえった。

笑っていた生徒たちは
皆、下を向いた。

静まった音楽室の中で
さとちゃんは 唇をかみしめ
汗ばんで
熱くなった
ハーモニカを握りしめたまま
うつむいて
立っていた。




少しも
ハーモニカの練習をしてこなかった
自分が
とても恥ずかしかった。

一生懸命 練習してこなかった
自分が
恥ずかしかった。



その日以来
さとちゃんは
ハーモニカの吹き方を
妹に教えてもらいながら
練習したのであった。





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